スタッフ紹介

心と技術をこめた家づくりにより、
幸せと豊かさに貢献します。

代表取締役 I青木 茂生

出身地:本巣市
血液型:O型
趣 味:壊れたものを修理する事、ドライブ、柿作り、茶道 (実はスポーツ音痴で趣味らしい趣味が無いのかな?)

長い間、職人の世界にいたせいか、生まれつき人と話すのが上手とは言えない自分なのに・・・。
でもどうしても自からお客様と向き合い家づくりがしたくて営業に携わるようになりました。
根っからの対面での不器用さは直らないと思いますが、その分気持ちを込めて、良い家づくりが出来れば良いなと思います。
どうかよろしくお願いします。

家づくりサポーター I青木 照美

出身地:本巣市
血液型:B型
趣 味:韓流ドラマ鑑賞、ツムツム、スイーツ食べ歩き

お客様の幸せ溢れる家づくりのお手伝いをしていけたらと思います。
いつでもお気軽に声をがけください!
持ち前の明るさでご対応させていただきます。

協力業者紹介

代表 青木茂生の生い立ちと家づくりへの思い

幼少期の奇跡

昭和 35 年 10 月
本巣市(旧糸貫町)で男兄弟 3 人の次男として生まれ、
60 歳になる現在まで一度もこの本巣市を離れることなく過ごしてきました。

私の父は農家の9 人兄妹の唯一の男子として生まれ、
中 学を卒業してから 70年近く大工をしてきました。

父は大工仕事の傍らで農作業をこなし、
ほぼ休みなく働いていたので、
私が子供のころに家族で遊びに行ったというような思い出はあまりありません。

ただ、そんな幼少時代でもリアルに記憶していることがあります。

家族でお墓参りに行った帰り道。

自転車を調子よくこいでいると突然ブレーキが利かなくなり、
勢いのついたまま大通りの交差点に進入。

「あぶない!!!」

目の前を通り過ぎる定期バス。

なんとか衝突はギリギリ避けられたのですが、
バスの側面に頭をかすめた後、
交差点の角にあったタバコ屋のショーケースに激突!

急ブレーキで止まったバスの運転手も降りてきて、
家族も皆がもうだめだ……と思った事故でしたが、
奇跡的に大きなたんこぶが頭にひとつできただけで済み、
命拾いをしました。

少しでもタイミングが違えば、
今ここに私はいないと思うと、
生かされる意味があったのかもと感じています。

空が好きだった小学生時代

小学生の頃の私は運動音痴。

女の子にも負けるくらいに足が遅かったので、
運動会の50メートル走が大嫌い。

毎年運動会が近 づくと、

「風邪を引けば欠席できる」

と思い、風邪をひくことを祈っていました。

そんな運動嫌いの私は空を眺めるのが好きで、
将来は気象庁で働きたいと真剣に思っていたほどだったので、
家族からは、

「お天気博士」

と呼ばれていました。

他に自慢できることとしては、
小学 4 年から中学3年までの5年間、
新聞配達を続けたことです。

小学生の時は毎年新聞少年として表彰され、
名鉄特急のロマンスカーに乗って、
名古屋の御園座に行けることが嬉しかったことを憶えています。

夢の消滅と新たな思い

中学生になると、
自分の将来の事を話題にすることが多くなりましたが、

将来は気象庁で働く

という思いも、
私のような勉強嫌いには到底無理なことがわかり始め、
いつの間にか消滅。

そんなころ父から、

「休みに現場に手伝いに来ないか?」

とよく誘われていました。

それまで父の大工という仕事に見向きもしなかった私。

むしろ、周りのほとんどがサラリ ーマンのお父さんに比べ、
どこか引け目を感じていたのが正直な思いでした。

けれども手伝いで父について行き、
真剣な表情で仕事をする父の姿を初めて間近で見た時、
衝撃が走ったのです。

「僕も大工になりたい!!!」

それがキッカケで大工になることを心に決め、
両親にその思いを伝えました。

さらに、

「早く大工の仕事を覚えたいから高校は行かない」

と言うも両親から良い返事は無く、
逆に父からは、

「この仕事は大変だから継がないほうがイイ」

とまで言われる始末。

「どうして?!僕が仕事を継ぐのは嬉しく無いの?!」

と疑問を持ちながらも、
親の言葉を受け入れることなく、
大工になりたいという思いは変わりませんでした。

ただし、

「高校だけは行きなさい」

と諭されて、
工業高校の建築科に進学。

弟子入りするも大きな挫折

高校に通っている間も時々、
父の仕事の手伝いをしていました。

そんな手伝いの中で、
あるアパートの造作現場で父が言った言葉。

「良いか茂生、
アパートに住む人も豪邸に住む人も、
その人にとっては大切な家だから、
決して手は抜いてはいけない」

今でも鮮明に頭の中に残っています。

その後無事に高校を卒業し、
そこからすぐの 3 月 10 日。

地元で評判だった、

社寺建築大工の棟梁のお宅に住み込みの弟子入り

そこから本格的に大工としての道に。

それまで父の手伝いはしていても、
ほとんど大工道具は触らせてもらえなかった私にとって、
弟子入りは本当に過酷なものとなりました。

親方からは毎日のように、

「てめえは本当に不器用な奴やな!!!」

と怒鳴られ、
悔し涙を流しながらの日々が続きました。

当時からすでに私のように大工になる者が少なく、
身近に気軽に話を聞ける仲間もおらず、
段々自分の立ち位置が解らなくなり、
将来に対する希望を無くしていきました。

そんなある日、
和室の貴重な天井板を切り間違えてしまい、

「申し訳ありません!」

と、謝るものの親方が激怒。

「もう今日はこれで仕事は終わりや!!!」

と言いそのまま軽トラに乗って帰宅。

その車中で、

「青木くん、この仕事は向かないから辞めたほうがいいな」

とボソッと言われ、
大声で叱られるよりも辛く自分に刺さってきました。

誰かに相談することも出来ず、

「本当に自分はダメだなんだ……」

と思った私はその夜に親方の家から抜け出し実家に帰り、
泣きながら 、

「お父ちゃん、もう僕 大工辞めるわ……」

と弱々しく伝えました。

その時きっと父は、
もう少し頑張れと言ってくれると思ったのですが、
出てきた言葉は、

「そうか、大変やったな……」

その言葉で決心し、
後に親方に伝えて大工を辞めました。

再スタート

その後は何をするでもなく、
だらだらと過ごす日々が続いていたある日。

「気晴らしに仕事についてこないか?」

と父に誘われ、
何気なくついて行きました。

父が仕事をしている後ろ姿を見ているうちに、
ふつふつと蘇ってきた思い。

一度は諦めた大工の道でしたが、
20 歳で大工として再スタート。

親に教わった大工は出来損なう

と当時は言われていましたが、

「絶対にそうはならないぞ!」

という強い思いで、
2 人目の親方として父について行きました。

私が最初の親方の元で 2 年も続かなかったことは、
本当に恥ずかしいことだと思っています。

でも今思うに、
仕事を始めて間もなく味わった大きな挫折が、

自分に謙虚さを植え付けてくれた

その後の人生の大きな糧になっていると実感しています。

3人目の師匠

父の背中を見ながら大工として修行を積み、
順調に仕事をこなす事ができるようになった26歳の時。

ある講演会の講師の話しの中で、

「建築に携わる物が、お茶(茶道)やお華(華道)知らな いようではいけない」

と言ったことが頭を離れず、
その後すぐに近くのお寺に習いに行くことになったのですが、
そこで想像もしていなかった出会いがありました。

その方は、

社寺建築や茶室などの数寄屋建築

に大変詳しい方で、
それを縁に大工仕事の指導をしていただくようになりました。

社寺建築はもちろんのこと、
あまりチャンスがない茶室にも携わることができたため、
大工の技術がとても磨かれ、
その後の仕事の幅が広がりました。

まさしく3人目の師匠です。

こうして振り返ると、
良い人、良い仕事に恵まれてきたとつくづく感じ、
とても感謝しております。

地域との関わりと運命の出会い

仕事と共に地域への関わりも増え、
青年団、消防団、建設関連組合と色々な団体に所属。

青年団では当時の本巣郡の青年団長、
消防団では副分団長を務め、
建設関連組合では今も役員として携わっています。

それぞれの団体で様々な活動を通し、
とても多くの経験と学びが得られましたが、
私の人生にとって最も大きかったのは、
妻と出会いでした。

当時、職人はお見合いでしか縁がなかった環境の下、
運命的に出会うことができ、
2年間付き合った後に結婚。

結婚で家族を持った使命感からか、
今のままの一職人ではいられないと感じ、
大工の下請けから元請けへの思いが高まってきました。

まずはその準備として、

建築士

施工管理士

宅建取引主任

インテリアデザイナー

の資格を次々と取得しました。

これからはパソコンが使えなくてはと思い、
パソコンも購入。

初めはソフトがなければ何もできないことすら知らないレベルで、
操作が身につくまでとても苦労しましたが、
還暦を超えた今でもしっかりパソコンが扱え、
本当に良かったと思っています。

下請けからの脱却

元請けへの思いが高まった背景は、
結婚以外に下請け仕事で経験した数々の出来事にもあります。

他の大工の現場でクレームが発生した時に、
その手直しを頼まれることがよくあります。

そんな現場に行ってみると、
確かに仕事の悪さはあるのですが、
それらはクレームになる前に処理できたものも多く、
大工や現場監督は何をしていたのだろうと思うことばかり。

当然お客様とのコミュニケーションもとれていません。

不機嫌なお客様を見ながらの修理は嫌なものですが、

何よりお客様が気の毒でなりませんでした。

また、下請けの現場でお客様から、

「直接頼めませんか?」

と尋ねられることが時々ありました。

しかし、元請け会社からの指示でない場合は、

どれだけお客様のためになると思っても、
お断りをしなければいけない

というのが下請けのルールなのです。

下請けの仕事には、

ここから先は入れないという大きな壁

があり、
どんなに強くお客様のことを思っても、
それを伝えられない部分が多くあります。

やはり本当にお客様の幸福を思えば、

出会いから引き渡し、
そしてメンテナンスまで、
しっかりと対面で携わらせていただく

そう確信。

これが下請けからの脱却の背景です。

家づくりの喜び

そんな思いで元請け会社へ移行。

現在は順調に新築工事とリフォーム工事のご依頼をいただいております。

特に、以前お世話になったお客様が連絡をくださり、
新たなお客様をご紹介いただけた時は、
本当にありがたく、
心の底から喜びを感じます。

私が提供した家づくりが本当に良かったのだと確信でき、
喜びがこみ上げてきます。

これが本当のお客様との関係なのだと実感します。

これからも多くのお客様の生命と財産を守るべき住まいに携わると思いますが、
住まい手であるご家族様から 、

『良かった』

といつまでも言っていただけるように、
大工として培った知識と技を礎に、
今後より一層お客様の幸せのための家づくりに邁進して参ります。

株式会社青木建築 代表取締役 青木茂生

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