代表挨拶

幼少時代

農家の長男のとして生まれた父が青木建築の代表で私がその息子にあたります。 中学を卒業してから70年近く大工をしてきました。まだまだ元気ですが、最近はさすがに気力もやや落ちて現役とは間違っても言えません。  私はそんな父の次男として昭和35年10月に地元の旧糸貫町で生まれました。 小学校の頃まではあまり父の仕事姿(当時は名古屋の現場が多かった)を見かけることが無くまたその頃将来の後継の話もなく仕事を継ぐことなど考える事もありませんでした。 スポーツ音痴な私は何故か小さい頃から天気(気象)の事を調べるのが大好きで大きくなったら気象庁に行くことを夢見ていました。 

大工の道を決める

中学に入り、その頃から将来の事が話題となることが多くなりその時点で勉強嫌いの私には気象庁など到底無理なことであることがわかり始めました。 そんなころ父から休日に現場に手伝いに来ないかと言われ、それが私の仕事を決めるキッカケになりました。  そして私が、中学2年生になってから僕も大工になると両親に思いを伝えました。3年生になり自ら早く仕事を覚えたほうが良いと思い両親に「僕は大工になるからもう高校は行かない」と言って話しましたが、両親からは良い返事は無く、さらに父は「この仕事は継がないほうがイイ」とまで言われて、「どうしてだろう。仕事を継ぐのが嬉しく無いのだろうか」と子供なりに思いました。 親のその言葉には、迷うことなく大工に対する思いは変りませんでした。今時は高校だけは行きなさいとのことで工業高校の建築科に入学して学業に勤めました。  18歳で卒業後に入社では無く親元を離れ当時良い仕事をされる事で評判の社寺建築大工の棟梁のお宅に住込みの弟子入りをして本格的に大工としての道に入ってゆきました。その後、実家に戻り父と共に青木建築として大工業をやり続け卒業してから40年弱にわたり大工として多くの現場を任せていただきました。 

本格的に請け負うを目指す

今、わたしの男三人の末っ子の子供がふたたび工業高校の建築科卒業後今は大学で建築を学んでいます。就職先も住宅会社に決まり、将来をこの業界に賭けようとしています。親の立場となった私は、その姿にやはり不安を感じますが、 それを超えて行ってほしいです。 これからも多くのお客様とその生命・財産を守るべき住まいに出会うと思いますが、不安を持ちながら私に仕事を継がせた父の想いを一つの気概に持ち、そして来る後継者も絶えること無く住まい手である御家族から  『良かった』といつまでも言っていただける家づくり を続けて行きます。   わたしたち株式会社青木建築は2017年から法人として再スタートをしました。 大工として培った知識を礎に 今後より一層お客様の幸せのために礼儀正しく 家造りにまい進してゆきます。

ごあいさつ

時代の変化と共に、生活の基礎となる家も住環境も進化し続けます。
青木建築は伝統工法と未来住宅のコラボによる家づくりのプロとして

  ・豊かな自然環境を最大限生かして
  ・豊富な経験と確かな技術を駆使して
  ・お客様の想いをカタチにしてまいります
 
 住まいは、ご家族ひとり一人の長い人生と共に生き続ける物です。
 だからこそ
  ・設計、施工
  ・資金計画から土地探し
  ・そしてアフターサービスに至るまで
 
 そのすべてを見据えた住まいをお客様と共にデザインして行きます。